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EAMAで気づいた「聴く」ということ 【理事 大熊とよこ】

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先日、「EAMAエンカウンターワークショップ」に参加する機会があり、とても興味深く自分自身の内面と向き合う貴重な体験をする事ができました。

話し手と聴き手の両方を体験したのですが、今回は「聴き手としての体験」について、感じたことを綴ってみたいと思います。

これまでにも、傾聴の練習会で長年顔を合わせているメンバー4〜5人と、小さなグループで同様のワークを体験したことはありました。しかし今回はそれとは異なり、参加人数も多く、ほとんどが初対面の方々という環境で、最初は緊張感がありましたが、それ以上に「どんな体験になるのだろう」というワクワク感が大きく、胸が高鳴るような時間の始まりでした。

ワークは小グループに分かれ、自己紹介からスタートしました。グループの中には、性別も年齢もさまざまで、これまで私が関わってこなかった分野で活躍されてきた方々がいらっしゃいました。その多様性に触れるだけでも大きな刺激となり、「人の背景の豊かさ」に改めて気づかされました。

セッションでは、いわゆるスモールEAMAが行われました。ファシリテーターのもと、話し手が自身の体験や思いを語り、それを複数の聴き手が受け取ります。特徴的なのは、聴き手が自分自身をいったん脇に置き、話し手の中に生まれている「感情そのもの」になりきって言葉にするという点です。

今回の私の役割は、「どうしようかな」と迷っている感情を表現することでした。しかし実際にその場に身を置くと、思っていた以上に難しさを感じました。右隣の方は「やりたい!」という強い前向きな感情を、左隣の方は「やりたくない!」というはっきりとした拒否の感情を表現していました。その二つの感情を同時に聴いているうちに、私自身の心が無意識にどちらかへ引っ張られていくのを感じました。

気づけば、「やりたくないよね」と心の中で頷いている自分がいました。本来であれば“迷っている状態”を丁寧に表現する役割であるにもかかわらず、自分の中の意見や感覚が自然と顔を出してしまっていたのです。

さらに、「本当はできるんじゃないか」「やってみたらどうなんだろう」といった、自分自身の思考や価値観も次々と湧き上がってきました。それらに気づいたとき、私は「いま自分は、純粋に相手の感情になりきれていない」とはっきり自覚しました。

傾聴とは、ただ相手の話を聞くことではなく、自分の感情や考えをいったん横に置き、相手の世界に寄り添うこと。そのシンプルでありながらも非常に奥深い行為の難しさを、身をもって体感しました。

同時に、人の話を聴くとき、私たちは無意識のうちに「自分のフィルター」を通して受け取っているのだということにも気づかされました。そのフィルターに気づき、それを手放そうとすること自体が、すでに大きな学びなのだと感じています。

内面を「映し出す」ことで、話し手の気持ちを自分ごとのように追体験し、その人自身が新たな気づきを得ていく。その場にいる一人ひとりが、互いの内面に丁寧に関わりながら、深い理解へと向かっていくプロセスは、とても豊かで静かな感動を伴うものでした。

今回のワークショップを通して、「人の話を聴く」ということの本質に、また少し触れることができたように思います。そして同時に、自分自身の在り方や向き合い方についても、多くの気づきを得ることができました。

大熊とよこ

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