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「中庸」という考え方  【理事 平野りか】

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東洋医学には「中庸(ちゅうよう)」という言葉があります。
出来事には「良い」も「悪い」も無く、どちらも同時に発生するという考え方です。

よく、「事実」は一つだが「真実」は人の数だけある、と言います。
これは、出来事は一つしかなく、それを良い事と感じるか、悪い事と感じるか(真実)はその人が置かれている状況や経験などによって人の数だけある、ということです。

これは、以前ブログにも書きました「準拠枠」のことです。
準拠枠とは、人が物事を判断、認識するのに使っている基準というような意味です。
人は個々に持って生まれた特性と、これまでの経験を通して、感じたり考えたりしています。
さらに言い換えれば、自分のみの特性と経験というフィルター(色眼鏡)を使って、見たり聞いたりしているということです。

中庸では、良い事と悪い事は、どちらか片方だけが生じるのではなく、どちらも同時に生じていると考えます。
おそらく「出来事」が発生した時点では、人はプラスかマイナスどちらかの感情だけが湧き上がるはずです。
ですが、よくよく考えてみたり後から人に聞いたりして、実はプラスと同時にあるいはマイナスと同時に逆のことも発生しているということです。

準拠枠は以前から学んでいましたし、東洋医学も以前から学んでいたので中庸も知っていました。
なので、なんとなくこの二つは似ていると思っていたのですが、最近中庸についての本を読んだことで、中庸とは自分にとって良いと感じる事と悪いと感じる事が同時に起こるのだ、と改めて認識することができました。

一つ、私の例を挙げましょう。
先日、娘が遠方に用事がありカーシェアを使って友人と二人で目的地に向かいました。
すると、車にトラブルを知らせるランプが点灯しました。
自動車専用道路の上でしたが、路肩に停めてカーシェアのトラブル対応の電話番号に電話をかけました。
停まった場所から目的地まではまだまだ距離があります。
なので、娘は代車を手配してほしいと言いましたが、先方からは「それは出来ません」という返答。
しかも、その場所に車を置いて、あとは自力で目的地まで行くしか方法がない、というようなことを言われたそうです。
街中ではなく、自動車専用道路の上です。ありえません。
結局、娘は目的地であった場所に電話をかけ事情を話したところ、その目的地のスタッフの方が車で迎えに来てくれることになりました。
そして、私は目的地から帰る手段の無い娘を迎えにその目的地まで車で行きました。

そのカーシェアの会社はもちろん許せません。
ナンバー1の大手なのに、ひどすぎます。
ですが、私は娘からの要請があって娘の目的地まで行けたおかげで、そこにある好きなお店に立ち寄ることができました。
娘は私以上に怒っていましたが、それでも目的地の方々の温かさを知る事ができたと言っていました。

この出来事は、準拠枠で言う捉え方であり、中庸で言う同時に発生するプラスとマイナスであると感じた一日でした。

この準拠枠や中庸の考え方を身に付けておくことで、日々の生活が本当に楽になります。すぐには身に付かないかもしれませんが、この考え方を頭の片隅にでも置いといていただければ幸いです。

平野りか

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