芸人になった息子の話【代表理事 村尾リエ】
今回は我が家のひとり息子、現在26歳のもうオヤジくさい息子の話を書こうと思います。
私も夫も関西人ということで、「お笑い」が身近にある環境で育ちました。
息子が生まれてからも、お笑い番組をテレビで観るのが日常で、いつでも一緒にお笑いを観てきました。
保育園から幼稚園に行くことになった時でも、その時代に流行っていたダンディ坂野さんの「ゲッツ!」なんかをやっていて、地方に引っ越した時には、周りが「ゲッツ」を知らない…
始めは「それなに?」と言われていたのに、お行儀のよい子どもが多かったカトリック系の幼稚園でも、みんなでゲッツのポーズで写真を撮ることになるくらいでした。
中学時代には、同じサッカー部の子とコンビを組んで、文化祭などで漫才をやるなど、やはりお笑いはいつも好きだったようです。
サッカー部での存在も、うまくはなかったけれど、場を温めることで先生にほめてもらったこともあったようです。
そんな息子が大学生で就活を始める時、就職するか、芸人になるか迷い、NSCの説明会にも参加しました。
大学のゼミでもお笑いを研究するなど、興味はありつつも、やはり思い切れなかったのか「安定を選ぶ」と言い、企業に就職をしたのです。
2年間安定企業で社会人をし、退職。
海外に行きたいとか、勉強したいとか…
今考えるといったい何が本当にしたかったのかはよくわからないなと思います。
その時期にコロナに罹り、その期間に色々考え…でもまだここでは芸人の道には進みません。
江の島のバナナジュースやさんの店長、しかもオープンから携わるという、本当にできるのか?と思うような仕事につきました。
どうなるんだろうと思いつつも、息子の人生だし、経験に無駄はないと信じている私は、見守っていました。
そしてその年の年末くらいの話。
「俺、芸人になるわ」
「不安定でも生きて行けることがわかったから」
びっくりしましたが、どこかで「やっとか…」と思う気持ちもありました。
安定した生活から、不安定だった雇われ店長、バイトなどの経験を経て、
安定を求めていた大学卒業の時とは気持ちの変化があったのでしょう。
そこからNSC東京29期生になり、この春から吉本興業の1年目になりました。
今の息子は「大変やけど楽しい!」と言います。
現在たまたま実家はあれど、一人暮らしの家に入居待ちの状態で、「家がなくなった」と同期芸人さんの家を転々としているようです。
こんなことすらネタになる!
どんなことがあったとしても、ネタにできる強さと楽しむ力を手に入れたなと思います。
私自身が好きなことをやって生きています。
この仕事もそう。好きな事を仕事にしています。
だから息子にも
「あなたがあなたでいられますように」
といつも思っています。
そしてこれを読んでくださったあなたにも。
あなたがあなたでいられますように。