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思いを言葉にすると心の癖に気づいていける 【理事 清宮ちこ】

yurushi-iro

「花がらも摘めない自分は、ダメな人だ」
かつての私は、そんなふうに自分を責めていました。
我が家の庭にはツツジの木があります。咲いているときは鮮やかで美しいのですが、枯れた花がらは水分を含み、ガクの腺毛が手にべたべたと張り付きます。
もともと園芸が趣味ではない私は、この花がら摘みが苦手で、すぐに飽きてしまっていました。
今でこそ自分の気持ちを客観的に言葉にできますが、傾聴を知る前の私は違いました。
「花がらも摘めないなんて、私は怠け者だ」
お隣の見事な庭を見るたびに、「同じようにできない私はダメだな…」と落ち込む日々。
挙句の果てには、花がらを摘んでいる最中でさえ、
「もっと先にやるべきことがあるだろう」
「まだこれだけしか摘めていない」
と自分を急かし、責め立てていたのです。
これではやる気が失せるのも当然です。
しかし冷静に考えてみれば、花が枯れるのは自然なことです。
他に優先すべきことがあるなら後回しでいいし、気が向いたときに少しずつ摘めば十分。最悪摘めなくてもいずれ自然に落ちていきます。
• 事実:花が枯れたままになっている
• 思い:私のせいだ、ちゃんとできなかった
こうして「事実」と「思い」を言葉にして並べてみると、自分を責める必要などどこにもないことに気づきます。
それなのに、なぜ「周りで起きた不都合=自分の責任」と捉えてしまうのでしょうか。
そこには、「ちゃんとしたかった」「大切にしたかった」「役に立ちたかった」「守りたかった」という、健気な思いが隠れているのかもしれません。
「自分のせい」にすることで、無意識に「自分が変われば状況をコントロールできるはず」と、前向きに最善を尽くそうとしていた側面もあるようにも思えます。
自分の思いを丁寧に言葉にしていくと、自分を縛り付けていた心の癖に気づけます。
「あ、今“私のせい”って思ったな」
「また私がなんとかしなきゃ、と思っている」
「いつものパターンが出たぞ」
そう気づけるだけで、心に少しずつ変化が生まれます。
「うまくいかなくても、私はダメな人間じゃない」
「一人で全部の責任を負わなくてもいい」
「結果と、私の人間としての価値は別物だ」
そうやって心が安定してくると、外側の出来事に振り回されなくなっていきます。
今の私は、ツツジの花が枯れたままでも平気です。「気が向いたときに摘めばいいや」と思えるようになりました。
事実と思いを丁寧に分けていく。それだけで、心は驚くほど軽くなっていきます。

清宮ちこ

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